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学生時代に読んだ景山民夫さんのエッセイでホテルニューグランドのことを知った。

エッセイの中で格式ある老舗のホテルとして紹介されていて、山下公園はおろか横浜にさえ行ったことがなかったわたくしは、大人になった暁には一度は訪問したいものだと思っていた。

働くようになって、横浜の山下公園には何度か足を運ぶことがあったが、山下公園から道を隔てたところにあるホテルニューグランドに訪問する機会はなかなかおとずれなかった。

 

いつのころからか、仕事で出張が多くなると、旅先でのB級グルメ巡りが趣味になった。

出張に先立って、出張先のB級グルメを事前リサーチしておく。

あるとき、横浜のB級グルメをリサーチしていると、横浜にはナポリタンスパゲッティのルーツが二つあることが分かった。

一つは、ホテルニューグランド、今一つは野毛のセンターグリルである。

 

ウィキによれば、ホテルニューグランドのナポリタンは、第2代総料理長の入江茂忠氏が戦後に考案したしたとのことである。

「ホテルニューグランドは、1945年(昭和20年)8月30日のダグラス・マッカーサーの来日直後から7年間GHQに接収されていた。」

「入江は進駐軍の兵士がケチャップで和えただけの具なしスパゲッティを食べているのを見て、ケチャップだけでは味気ないと考え、生トマト、タマネギ、ニンニク、トマトペースト、オリーブオイルでトマトソースを作り、炒めたハム、ピーマン、マッシュルームを加えてソースで和えたスパゲッティを考案したという。」

「このスパゲッティは「スパゲッティーナポリタン」と呼ばれた。」

 

同じくウィキによれば、センターグリルのナポリタンは、

「1946年(昭和21年)の開業時よりナポリタンにケチャップが使用されていたとされる。」

「高価で加工に手間もかかるトマトを使わずケチャップを用いるのは町の洋食店ならではの工夫だとして、センターグリルが「ケチャップナポリタン」の発祥であると見る向きもある。」

「ただし、同店の創業者の石橋豊吉は、ワイルの経営していたセンターホテルで修業をしていて入江とも親交があり、開業後にも入江からアドバイスを受けていたという。」

 

この時の出張では、ホテルニューグランドのスパゲッティナポリタン、センターグリルのナポリタンいずれも食することができた。

B級グルメ571 聖地巡礼 スパゲッティナポリタン@ホテルニューグランド

B級グルメ572 聖地巡礼 ナポリタン/センターグリル@横浜・野毛

 

さて、ホテルニューグランドには、スパゲッティナポリタン以外にもこのホテルが発祥といわれる料理が2つある。

その料理とは、シーフード ドリアとプリン・ア・ラ・モードの二つである。

ホテルのホームページによると、シーフードドリアは、

「初代総料理長 サリー・ワイルが体調を崩した外国人客のために即興で考案した一品。」

「いまや定番の人気メニューである「ドリア」。」

「お米を使ったグラタンのような料理です。」

「この「ドリア」、実は日本で誕生しました。」

と紹介されている。

 

今回は家族でホテルニューグランドに宿泊し、ザ・カフェでの夕食をとることにした。

ザ・カフェは、ホテルの宿泊客も含めて予約を受け付けないので、チェックイン後直ちにお店に向かってウエイティングリストに名前と部屋番号を記入する。

1時間ほどすると部屋に座席の準備ができたと案内の電話がかかってきた。

お店は今日も混みあっている。

案内されたのはお店の一番奥、窓越しに山下公園を見通せるテーブルである。

 

この日は家族と一緒だったので、シーフードドリアのほか、スパゲッティナポリタン、エビフライタルタルソース、オムライスなどを注文。

もちろん忘れずにビールも注文。

料理は少しずつシェアしていただく。

初めてザ・カフェで食事をする家族はどの料理も気に入ったようで、翌日は横浜高島屋でホテルが販売するスパゲッティナポリタンのソースを大人買いしていた。

 

そして、シーフードドリア。

家でも時々ドリアを作るけれど、当然ながらソースのコクが違う。

久しぶりに本格的なドリアをいただいた。

次にザ・カフェを訪問したら、ぜひプリンアラモードなんかをいただきたいと思う。

 

 

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